7月22日(土)に荻窪いちべえに於いて漫画家で日本酒評論家の高瀬斉先生による日本酒講座に久しぶり参加しました。講座は現在第3クールに入っています。今回の講座は「ドブロク面白話」。講座の概要は次の通りです。参考資料は当日配布されたテキストです。
・1953年:酒税法制定・・・・アルコール分1%以上は酒お酒の製造規制
昔の農家は貧しく酒を買うお金が無かったので、自家製ドブロクを醸して冠婚葬祭等で呑んでいた。
・1868年(明治元年)・・・・財政難の明治政府は酒税の徴収を思いつき「酒造規則」5ヶ条を設ける。
・1871年(明治 4年)・・・・免許制度を採用(清酒10両,濁酒5両)
・1880年(明治13年)・・・・自家醸造は年1石以内と規制
・1882年(明治15年)・・・・自家醸造に対しても課税、免許鑑札料80銭
・1899年(明治32年)・・・・自家醸造の禁止令発効し、密造摘発、ドブロク狩りが急速に展開される。
罰金を納める金が無く、代わりに進んで刑務所に行き懲役により代償。自家醸造に対する罰金は換刑処分にする時は1日に1円、罰金30円だと30日間の懲役に服すれば出てこられた。大正4年当時の米の値段が2俵で13円だから30円は結構きつく、百姓がおいそれと納められる額ではなかった。「呑んだのは親爺だども、造ったのはおらだからおらを監獄さ入れてけろ。」と家族のお婆ちゃん達が監獄に入り、時には女囚が多かったという。
「お金は一銭も出さず、お上の飯食ってくる。」
・1908年(明治41年)・・・・監獄志願が絶えないので刑法を改正、1日1円から30~50銭へ職業収入の状況によって変えたが、懲役志願は減らなかった。東北北部、特に秋田県では密造取締りに熱心だった。→ドブロク王国
例 1908年(明治41年)密造違反者827人(女性516人),1917年(大正6年)2,217人(女性1,011人)ドブロク密造取締りには地域差があった。
・大曲税務署・・・・「酒類密造につき警告」
・仙台税務監督局・・・・農村に於ける唯一の慰安物、制止難き嗜好品と認めている。ドブロクの異名
濁酒 しろうま インペ(イ);隠蔽 沢の鶴;鶴の白さから? 大人ミルク コモカブリ すみません;澄みません 白露 藪(笹)の友;隠し場所? ...etc密造酒の隠し場所
小川に沈める 脱穀した後の稲藁を積んだ「わらみお」の中 積んだ薪の後ろ 田圃の小屋 杉林の中 山中 厩の床に穴を掘って ...etc酒調べ(酒税官) = 「カラス」
→詰め襟に黒マントを着て最新流行の自転車に乗って税務署と農民の知恵比べ(大正~昭和初期の実話)
・罰金の代わりに監獄へ
・チャールストン;ちゃー(親爺)がルス(留守)でトン(豚)小屋に隠す
・有線放送に「お富さん」が流たら酒税官が来たという合図。
・運動会・・・・来賓(役人さん,警察署長等)にもドブロクを振る舞う。
・水を被った酒税官・・・・流しに捨てられた醪を取ろうとしたら頭から水をかけられ、醪はすべて流されてしまった。
・天皇が守った濁酒・・・・学校で密造、天皇のご真影が飾ってある場所に隠す。
→酒税官もそこまでは探さなかった。
・鯉の酔っぱらい・・・・池に慌てて隠したら瓶が割れ、池の鯉がドブロクを呑み酔っぱらって暴れた。
・白くたって・・・・白い液体が入っている瓶を持って逃げた人を捕まえたが、中は磨ぎ汁だった。その間にドブロクを他所に隠す。
等々ドブロク特区
特区の申請により、現在各地でドブロクの製造が認められている。
遠野市(岩手県) 飯豊町(山形県) 飯田市(長野県) 鳴子市(宮城県) 新潟県で8カ所ドブロク祭
伊勢神宮,出雲大社など40数ヶ所で製造認可
長草天神社(愛知県) 白川郷(岐阜県) 白鬚田原神社(大分県) 来宮神社(静岡県) 宇賀神社(香川県) 春日神社(茨城県) 等
以上のような内容です。ドブロクとは発酵した醪を濾さない白く濁った酒のことなのです。昔、貧しかった農民は冠婚葬祭や年始などの特別な時に呑むドブロクが唯一の大人の嗜好品だったのですから、それを規制されたらたまんないですよね。ですから、農民達が酒税官の目から逃れるためにあの手この手で対抗していたようです。
講座の後は宴会です。今回は秋田県の蔵元、新政酒造(株)の佐藤さんがいらっしゃったので、お酒は新政を。大吟醸が冷やでもお燗でも旨みと香りのバランスが良く美味しかったです。
宴会のがお開きになった後は他所で引き続き呑み。10時頃まで呑んでました。
1月7日(土)に荻窪いちべえに於いて漫画家で日本酒評論家の高瀬斉先生による日本酒講座に久しぶり参加しました。講座は7回目から第2クールに入っていて、今回は第2クールの第3回目となります。今回の講座は「日本酒奇人奇談面白話」。講座の概要は次の通りです。参考資料は当日配布されたテキストです。
髑髏を盃に……織田信長が有名だが、水戸光圀も無礼打ちした部下の髑髏を盃にしていた。摂津の六升五合の盃……過去に2人だけ呑み乾している。
魚沼地方の一斗入りの大盃……恐らく実用では最も大きい。甲州の大酒豪……酒の席で五斗以上呑まされ酔死(水死では有りません)
した男の腹の中から瓢箪の様なような瘤があり、その瘤を取り出し大釜で茹でたところ泉のごとくとどめも無く酒が湧き出たという。→越後の今猩猩酒宴,寄り合い酒が盛んになった元禄時代
・「酒狂い」という言葉もこの時代から
・五代将軍徳川綱吉 酒宴にうつつをぬかす者を嫌い、お酒の
販売価格の5割も税金をかけた。
・八代将軍徳川吉宗 享保の改革、酒狂いの取り締まり(大岡越前)
・京の書道の大家 亀田窮楽 好物は「煙草,相撲,競馬,銭」
酒は予が糧なれば数えず大阪の酒豪・大酒呑みの遊び人・河内屋太郎兵衛
田沼意次時代 重商主義→商人の台頭
「世にあうは 道楽者のおごりもの ころび芸者に山師運上」
→芸妓と舟遊び 屋形船に料理と酒をどっさり載せて・・・相撲界の大酒豪
昭和初期 伊勢の海(3人で一斗八升),海山(70日間酔い続け),
常陸山(晩酌にウィスキー大瓶1本)落語と酒
長屋の花見,花見酒,らくだ,試し酒,応挙の幽霊
「酒のない国へ行きたい二日酔い また三日目に帰りたくなる」江戸三奇人の酒宴……蜀山人,十辺者一九,風流山人
名宰相・若槻礼次郎……当時評判が悪かった理研酒をよく呑んでした
幸田露伴……原稿料で大盤振る舞い旅行
奇行学者 南方熊楠
小便垂れ流しの東大教授・芳賀矢一
「酔心」を愛した画伯・横山大観等等....
色々な方がいるものです。個々のエピソードに当時読まれた和歌なども紹介していただきました。
講座の後は宴会です。今回は静岡市清水区の三和酒造(株)の営業の日下部さんがいらっしゃったので、お酒は臥龍梅の特別本醸造と純米吟醸(どちらも五百万石,H17BY)を。特本は微妙にアルコール臭がするものの呑みやすいお酒です。純吟は味香りのバランスが良いお酒、私の好みは純吟でした。
宴会のがお開きになった後も他の方と別卓で。11時過ぎまでいました。相変わらずの長っちりです。
高瀬先生の日本酒講座は2月はお休み、次回は3月だそうです。次回も楽しみです。
8月13日に荻窪いちべえに於いて漫画家で日本酒評論家の高瀬斉先生による日本酒講座第5回があり、それに参加しました。8月の講座は「酒屋万流」。日本酒の造りに必要な要素・工程のあれこれについてです。私は前回7月の講座はつまらん仕事の為欠席、2ヶ月振りに参加しました。よって、第4回の講座の転記は無しです。講座の概要は次の通りです。参考資料は当日配布されたテキストです。
アルコール発酵を営ませるものに、優秀な酒母,麹,蒸米が必要不可欠だが、それぞれ優秀なものを使っても必ずしも優秀な酒ができるわけでもない。そけぞれの酒造場との相性の良い酒母,麹,蒸米の組み合わせがあるもので、その組み合わせが妙を確立してこその優良酒である。それが「酒屋万流」である。歴史上から見た造りのあれこれ
・室町時代:諸白造り,火入れ殺菌,三段仕込み,袋搾り
……現代の造りの原型,容器の拡大(10石木桶)
・江戸時代における柱焼酎と灘酒の突出
……宮水,水車精米,寒造り,水運の便
柱焼酎……伊丹の酒で焼酎で加水,腐造防止,アル添量は現在
より少ない
・M9年:灘でサリチル酸防腐試験、サリチル酸はビールの防腐剤
・M39年:横型精米機導入 エンゲルバーグ社製
(恐らく精麦orコーヒー用)
佐竹製作所国産1号機(臼杵回転式自動精米機・石粉精
米で55%まで) →賀茂鶴で採用
・M42年:蛇管式火入れ法
・明治時代における灘酒の解剖……製造法公開を法制化,それま
では門外不出
・山廃酛(嘉儀金一郎・M42)
速醸酛(酸馴養連醸酛・江田鎌治郎M43 当初は28~30℃と仕込
み温度が高い 今は18~20℃)
・T8年頃:竪型精米機
・T12年頃:ホーロータンク……木香が無くなる、暫くは敢えて木香をつ
ける工夫をしていた蔵もあり
・大正時代のダルコ(活性炭)の使用
(T15年 新潟県「住乃井」「吉乃川」優等賞)
・昭和時代のアルコール添加
S14年北支(千福工場・田中公一),S15年満州にて
S17年本土において55の清酒醸造場で転化醸造試験
S19年全国的に普及
・S23年:高温糖化酒母(甘酒速醸酒母) 糖化を急速にかつ効果的に
行うと共に雑菌の淘汰をも意図した仕込み。高温(55~58℃)
を5~8時間持続し糖化を行い約40℃まで急冷した後、乳酸を
加えさらに冷却を続けて25℃近辺で酵母を添加し、後は速醸
と同様に育てる。
・S24年:三倍増醸法(始まりはS18年満州)……三増酒
・S37年:固形酵母による酒母省略仕込
・S38年:薮田式自動醪搾り機
・S41年:泡無し酵母の実用化(T5:最初の発見記録),
S36年:ハワイ、ホノルル酒造 二瓶孝夫
S44年:協会7号酵母より分離実用化(秋山裕一他)
ドレン添加による吟醸香の付与法
・S44年:酒造組合中央会、防腐剤サリチル酸使用自粛を打ち出す。
・S48年:防腐剤サリチル酸の禁止
・S59年:融米造り発表,H4年:商品化造りにおれるあれこれ
米:
奈良時代……早生,晩生,もち,うるちの区別
平安時代……「法師子」「千本子(ちもとこ)」などの栽培技術上の特
性に着目した品種名も見られる。
鎌倉時代……酒造用「こひすみ早稲」「しゃうかひけ」などの品種
精米:委託精米と自家精米
精米したお米を布袋に入れ湿度を高める(吸湿)。
使用米の選別→真正精米(割れたりした米を取り除く)
扁平精米:回転速度を低くして米の密度を高める
=長軸を中心に回転(長時間)
精米機:
振動緩衝材の使用,兵庫「白鷺の城」
……水車精米を開始(水車新築)
洗米:
機械洗い,手作業による洗い(吟醸),ザル,メッシュの袋,試桶など
を使う。
ホースで精米所などから浸漬タンクまで水と一緒に米を送りながら洗
米する方法など→洗米機の様に渦が無いので洗いとしては不十分
浸漬:
浸漬タンクの工夫(水抜き),限定吸水
蒸し:
昔は甑(こしき)の底の穴の上にこま(さる)を置き、上記を均等に分
散させるための道具を使った。
その形状は杜氏それぞれに独特なものがあり秘密にしていた。
蒸しの方法として「抜駆け法」「一時置き法」がある。
甑肌を嫌って甑の底に偽米を置くところや網を置く蔵も増えてきた。
蒸し蒸気の温度は101~103℃
S40年代に流布した短期蒸し理論の弊害
→澱粉をα化するには15~20分で十分→実は蛋白変性が不完全
近年は「和釜+バーナー」は少なくなり、ボイラーの蒸気を甑に吹き
込む方法が主流。和釜にこだわる蔵もある。
放冷:
放冷機の使用
そのまま試桶などで麹室へ運び通路で冷ます(鉄砲)
→汚染されないよう床より高くするなどの工夫有り(吟醸)
製麹:
麹室の素材の違い……杉,ステンレス,ベニヤ板 他,
コンクリートの壁(沖縄・泰石酒造)
麹蓋 箱 床 機械製麹 盛りの工夫→丸いわっぱ,半月型
麹室での種麹散布……放冷機での散布
換気,除湿の工夫(天の戸) 使用布の洗浄度で油臭の可能性
黄麹が日本酒の主流
白麹の使用……秋田「まんさくの花」 生酒用→老ねが出難い
黒麹の使用……秋田「天の戸」 クエン酸が多い
酵素の種類……αアミラーゼ(液化型),糖化酵素,
酸性プロテアーゼ(蛋白分解酵素)
酸性プロテアーゼ:米中の蛋白質を分解しアミノ酸やペプチード
などの旨味成分を作る。多いと雑味の原因となる。
近年の淡麗な酒質からするとアミラーゼが強くプロテアーゼの弱い
麹造りをよしとする。
出麹:
専用の部屋を持つ蔵が多い。
地域により湿度が違うのでそれぞれの工夫がある。
→除湿機,換気扇,ストーブなど
「由利正宗」 できた麹を冷蔵貯蔵
(必要以上に老ねさせない、麹の菌糸の成長を止める)
酵母:
蔵付き酵母,協会酵母,自家培養酵母,花酵母
M28:サッカロミセス・サケ・ヤベ 矢部規矩冶(東大)
酒母:
生酛系:生酛(櫂の形状の違い),秋田生酛,山廃酛(山卸廃止酛)
速醸系:速醸酛,高温糖化酛(S15 広島で考案・アル添酒用)
菩提酛:そやし水 ご飯(1)を浸漬水(9)を埋める。
ギリ酛:手やま(手混ぜ)→汲み掛け(30cmほどの円筒の筒を酛に
挿入し、円筒の中の物料に掘り出し中に溜まった液を柄杓で外の
物料に振り掛ける)
酛の匂い……硫化水素臭(屁の匂い)
醪:
枝桶・添え桶(小型タンク)……初添と翌日の踊り(品温の降下を防ぎ
十分に躍らせるため)⇔スッポン仕込
木桶仕込みの復活,小型タンクを木桶に固執している蔵もある。
麹歩合のこだわり:普通は20%、多いところで25%
……「由利正宗」は17%
仕込みタンク:
開放型と密閉型,三段仕込み、四段仕込み....
櫂入れの有無:櫂入れをするとそこから雑菌が入る。(櫂は木製)
「由利正宗」……櫂入れしない,無加水,無濾過→杜氏さんの主義
タンク冷却:サーマルタンク,冷却水マット,氷,雪,蔵全体を冷蔵庫
に(冷蔵蔵)
広島「蓬莱鶴」……マンションの地下、超小仕込み
液化仕込での吟醸(液化酵素の温度帯)
→80~90℃(液化率99%),50℃(液化率60~70%)
上槽:
江戸時代からの天秤式,油圧式槽,自動圧搾機(ヤブタ),遠心分離
方式ヤブタ→搾り袋のカビ対策
袋吊り(首吊り)方式:S33島根県・堀江修二,出品酒によく使われる
斗瓶取り 板の囲いは黴が付きやすい? 斗瓶はチタン製も
外材による着臭(消毒剤とかの臭い)
火入れ:
瓶燗,蛇燗式,熱交換器
貯蔵:
瓶貯蔵,タンク貯蔵,冷蔵貯蔵,トンネル貯蔵
以上の様な内容です。日本酒を造るのに必要な要素も様々ですが、その工程,道具についても色々とあります。酒蔵はその土地に適した材料,道具,方式で日本酒を造るのですから正に「酒屋万流」。味も蔵によって違いが出るのは当然かなと思いました。今回の話を聞いて、ピンと来ないところもありました。実際に見てみると判るのかな、酒蔵見学をしたくなりました。
講座の後は恒例の宴会。今回は奈良萬の東海林専務がいらっしゃって盛り上がりました。頂いたお酒は、
・夢心 大吟醸 斗瓶囲い
・奈良萬 特別純米おりがらみ
・奈良萬 純米 中取り
どのお酒も私の好み味で美味しかったです。途中、フルネットの中野社長が来店。「生老ね酒」のいい例があるからと、カップ酒を2種持ち込み。品名は敢えて伏せますが、巷でよく売られている酒です。試飲すると、なるほど老ね香が鼻につきます。これを美味しいと言って呑む方もいらっしゃるのでしょうけど、果たしてこれがこのお酒の本来の味なのかどうか.....楽しくもいろいろと勉強させられる時間を過ごしました。
6月25日に荻窪いちべえに於いて開催された高瀬斉先生による日本酒講座第3回「酒造りの神秘、米・米麹,酵母」の概要です。先日書いたものの続きで、「米麹」と「酵母」についてです。参考資料は当日配布されたテキストです。
米麹麹は暖かく湿ったところに繁殖する。
古代縄文人はごはんを暖かく湿ったところに置くと麹菌が生えることを知る。その条件に当てはまるのが洞窟。洞窟がある自然環境下にあるものだけが麹を作成。(寒ければ焚き火)
→室町時代に酒造りが産業となり、麹造りも職業として成立(京都)
麹造りの為の室(築山に横穴)の登場麹菌の種類
日本酒造りには黄麹(アスペルギルス・オリーゼ)が使用される。
味噌,醤油,味醂も同じ黄麹を使用。沖縄の泡盛には黒麹菌,中国や朝鮮はクモノスカビ
今年の造りでは秋田の2品種が焼酎用の麹菌を使用。
・「天の戸」黒麹菌使用(クエン酸が多い)
・「まんさくの花」白麹菌(黒麹の人工突然変異株)生老ねしにくい酒麹の働き、酵素
麹の働きはお米の澱粉質を糖分(麦芽糖→ブドウ糖)に変える事で、
これはグルコアミラーゼという酵素の働きによる。
澱粉糊を液化するαアミラーゼ,蛋白質を分解し酒の旨味のもとである
アミノ酸やペプチードを作る酸性プテアーゼという酵素がある。淡麗種はアミラーゼを強く、プロテアーゼの弱い麹で仕込む。
糖化酵素で代用する蔵もあるが、糖化のみでアミノ酸の生成が無く本
来の日本酒の旨味を表現するには無理がある。三段仕込みの場合、添えは酵素力の強いもの、仲,留は順次酵素力
の弱いものと使い分ける。何故、麹蓋なのか
麹蓋の寸法:1尺4寸3分×1尺×1寸7分(433×303×52mm)
蓋だと盛る量が少ないために相対的に表面積は大きくなり乾きやすく
温度が上がりにくく、麹にとって繁殖しづらい環境にあり生存条件とし
ては厳しい条件にある。
→生きるために必死になる→しっかり破精込んだ強い麹菌になる
→腐造防止
大手は機械を使用。蔵によっては吟醸酒は蓋麹を使用するなど使い分
けている。
酵母麹菌が造った糖分を食べアルコールと炭酸ガスに分解するのが酵母の仕事。
M28年東大 矢部規矩治が日本で始めて清酒酵母を純粋分離
→サッカロミセス・サケ・ヤベM39年醸造試験所で全国の優良清酒から分離し培養した優良酵母を協会1号酵母として、初めて全国酒造家に配布
協会酵母
「協会X号」と数字が付けられている。
泡あり酵母・・・・6,7,9,10,11,14号 酵母によって造られるお酒の味
わいが違ってくる。
泡無し酵母・・・・上記数字の下2桁に01を付与、601号,1401号等。
泡あり酵母に無い1501号がある。
その他、小酸性酵母や高エステル生成酵母など別途契約が必要な
酵母がある。(呼び名は数字)泡無し酵母
T5年に初の発見報告。
S6年設立の新潟醸造試験場の最初の仕込が泡無しだった。
S37年 島根県「簸上政宗」より泡無し醪の相談が醸造試験場に持ち
込まれる。
S44年 協会7号より泡無し酵母の分離、実用化
S46年 協会6号より泡無し分離高泡酵母数億匹に1匹の割合で泡無し酵母がある。
泡あり酵母が好気性に対し泡無し酵母は嫌気性
ハワイの泡無し酵母
二瓶孝夫(ホノルル酒造) 戦後の酒質建て直しで招かれS36年偶然
泡無し酵母を発見
S45年 日本醸造協会より「技術賞」泡無し酵母の効用
泡消し作業がいらない、同じ大きさの樽で多量作成が可能、管理が楽現在、8~9割の蔵が泡無し酵母を採用している。
花酵母
H10年 東京農大 中田久保により発見
東京農大花酵母研究会 全国30数社で採用
以上です。ラベルに書かれていて、酒の味を語るときに話題によく上る米、米麹、酵母について恥ずかしながら初めて知ったことが結構ありました。
6月25日に荻窪いちべえに於いて漫画家で日本酒評論家の高瀬斉先生による日本酒講座第3回があり、それに参加しました。6月の講座は「酒造りの神秘、米・米麹,酵母」。日本酒の原料についてです。その概要は次の通りです。参考資料は当日配布されたテキストです。
米飯米と酒造米の違い
1)千粒重の差 飯米約22g,酒造米26~28g 酒造米は粒が大きい
2)心白の有無 心白とは米粒の部分的に白が濃い箇所を言う。
大きさは酒造米によって30~90%の開き
3)軟質・溶解性 吸水のよさ、破精込みのよさ
4)低蛋白性 蛋白質はアミノ酸となり雑味のもと。
酒の味に影響を与える
アミノ酸・・・・天然に存在するアミノ酸は約20種
日本酒に一番多く含まれるのはアラニン(甘味と旨味)
普通酒に多いのはアルギニン(苦味)
特定名称酒に多いのはグルタミン酸(酸味,渋味)
他にアスパラギン酸(酸味)アラニン,グルタミン酸の量のバランスが旨味、ふくらみ、
きれいさに関係し、グルタミン酸,アルギニン,アスパラギン酸
の量が後味に関わってくる。
日本酒の美味さに関わる雑味を「複雑味」とも言う。酒造好適米を使用している蔵はおそらく2割程度。
酒造米への認識
平安時代(9~12C)米を主原料とした酒が風土に馴染んできた時代
早稲・晩稲・中稲の区別、栽培技術上の特性に注目した品種
鎌倉~室町時代(12~16C)
室町時代になると商品生産としての酒造りの本格化,諸白の出現
酒造米「こひすみ早稲」,「しゃうかひけ」→酒造米として認識される
江戸時代(17~19C) 酒質による地米と田舎米の使い分け
酛米や麹米は備前古米
掛米は秋田(甘口になりやすい),地米,備前新米等
酒所の灘では大粒で軟質の播州米(鳥井米・金谷米)
知多半島では阿久比米の栽培・・・・酒造りが盛んになる
江戸末期~明治中期 白玉,都,伊勢錦,雄町の出現明治時代(19~20世紀) 化学の導入
※それまでは杜氏の勘で酒を醸していた
M14年 東大お抱え教授ウィリアム・アトキンソンによる蛋白成分の
分析。伊勢,肥後,美濃,播磨,尾張,備前,遠江の粳米が最上。
しかし、これまで通り杜氏の勘の方が美味い酒ができた。
M22年 徳野嘉七・・・・大粒で粘らない米が麹にしやすい
摂津,播州,明石,備前,高砂
M23年 榊原英吉・・・・酒造において米質の純良なるを確定しなくて
は駄目。酛米は摂州粟生米,播州谷米
M37年 山田穂,天神穂,雄町,八反(以上大粒米)、神力,愛国
などの軟質米が適している
M43年 鹿又 親・・・・「蒸しが容易で均等に蒸せる事、麹菌の破精
込みがよく糖化されやすく発酵が良く異臭味を与えない米」が麹にし
やすい
M44~45年 江田鎌治郎・・・・麹米は備前雄町がいい大正時代(20世紀)
T5年より試験所の佐藤寿衛が中心となり全国の仕込み米を集め
分析と適正試験を行い、「酒造適米」の言葉が生まれる。
神力,愛国,亀の尾,坊主,雄町,秋田「両関」
T2年 第4回全国清酒品評会において「亀の尾」で優等賞受賞昭和時代
S7年頃 「雄町」が抜群と言われる
戦時中は飯米不足もあり好適米の研究も中断する。
戦後S35年頃より研究再開、「酒造好適米」とは何ぞや?
S44年 食糧米の自主流通制度から酒造好適米は各県で
評価決定されることに。以来、好適米は全て大粒心白の品質が
指定されるようになる。酒造好適米作付けベスト5
1)山田錦,2)五百万石,3)美山錦,4)雄町,5)兵庫夢錦
数年前は五百万石が1位、5位に兵庫北錦等酒造に使われるお米の比率
麹米20~23%,酛7%,掛米70~73%
麹米比率 純米酒における酒税法上の数字は15%以上
比率は蔵により差がある復刻米
戦前に使われていた品種を採用する蔵も出てきた。
亀の尾,愛国,神力(以上戦前の3大品種),渡船,強力,穀良都,
赤磐雄町など。粒が大きく穂の背が高い戦前は酒蔵が米造りをしていのが当たり前だった。
今は殆どの蔵で米造りは行われていないが、米造りをする蔵も僅かだが有る。戦前と戦後のお米の違い
過燐酸石灰の使用(倒伏防止)→米の硬質化→被糖化性が極度に
小さく酵母の栄養の蛋白や灰分が少ない硬質化によるマイナス面
蒸しが困難,麹の破精込みが不良,蒸し米の溶解糖化が不良
酒母が早湧きする,醪の発行が不十分等
→S23,45,50年の腐造の原因か?酒米は何故蒸すのか?
同じ醸造酒のビールは原料の麦を煮るが、日本酒のお米は蒸す形をと
る。煮てしまうと柔らかくなりすぎ、麹の酵素が働き過ぎて澱粉をいっ
ぺんに糖化してしまい、その甘さの強さに酵母が負けてしまう。
→濃糖圧迫
ビールは仕込み水の量が多いので甘さも薄くアルコール度も少ない。「姫飯仕込み」はお米を煮て作る液化仕込み
一粒の籾からできるお酒の量(あくまでも計算上の話)
一粒の籾から6~10本の茎が生える→1本の茎から100~150粒
のお米が採れる→一粒の籾から約1000粒のお米が採れる。1000粒の米の質量を27gとし、精米50%(吟醸酒)とした場合、
できるお酒は約30ml一合=180mlのお酒を造るには6粒の籾が必要
平成17年酒造好適米の栽培状況
全国44道府県で84品種、のべ177品種栽培されているそうです。
東京都,鹿児島県,沖縄県では酒造好適米は栽培されていません。
未だ、米麹と酵母のお話が続くのですが、長くなりそうなのでまたこの次書きます。
5月28日に荻窪いちべえに於いて漫画家で日本酒評論家の高瀬斉先生による日本酒講座第2回があり、それに参加しました。5月の講座は「お江戸の酒合戦」。大酒呑みの呑み対決についてです。その概要は次の通りです。参考資料は当日配布されたテキストです。
平安の酒飲み大会 911年(延喜11年)宇多法皇の離宮・亭子院の御前試合、
「大戸をよんで、賜うに醇酒をもってした」 大戸・・・・上戸の意
一人づつ酒を呑み、どこまで呑めるか競う。多分、一気呑みだろう
20杯を限度に呑み始めたが、6,7巡するうちに満座酩酊状態に。10杯で止めにする。ただ一人乱れなかった藤原伊衡(これひら)が駿馬を賜る。盃の容量を一杯5合とすると一人3升分か?
大師河原の酒合戦 1649年(慶安2年)泰平を身にしみて味わうようになった時代
「水鳥記」(水鳥とはお酒を意味する)に記された、大蛇丸底深×地黄坊樽次の酒合戦。自身も大酒呑みだが、それぞれ大酒呑みの部下を従えて酒飲み合戦を交える。名前は水鳥名と言い大酒呑みを名で表す。大蛇丸底深・・・・本名 池上太郎衛門幸広、江戸初期に川崎大師河原に移住し開墾、実績を上げる。家宝の酒盃(朱漆塗りで内面に金蒔絵で竜が描かれている、一升五合入り)を毎晩床についてから10杯呑んでいたと言う。→寝酒の盃
地黄坊樽次・・・・本名 茨木春朔、水鳥名の「地黄」とは薬の事で鉄気を嫌う、自分も鉄気・刀を嫌って坊主になった。酒呑みの「掟」を定めた。乱酒厳禁。喧嘩口論禁止、寝上戸は認める等々。部下には武士、商人、医者、学者、僧侶など身分のあるものが多い。底深のいとこで山下作内請安が地黄坊に酒合戦を挑まれて負けたことが、発端。地黄坊が底深が居にしている大師河原まで攻め入る。途中、神田明神に寄っている。神田=燗だの意。
底深が途中で待ち伏せするが樽次に見破られ、酒合戦が始まる。樽次側が勝ち底深の家まで攻め入る。
底深が病に倒れ酒合戦ができなくなる。樽次が神社で祈念すると底深の病が治る。
合戦の結果だが、最終的に二人が和ぼくした,樽次側の勝利等諸説有
千住の酒合戦 1815年(文化12年) 太田南畝「後水鳥記」千住の飛脚問屋、中村六右衛門の還暦祝い、文人,画人,俳人等の来賓を招く。上戸と思う人は誰でも参加できたが、狂花(怒り上戸)や病葉(眠り上戸)など悪酒呑みは一切お断り。
盃は五合入りの「江島盃」から三升入り「丹頂鶴盃」まで6種。酒は伊丹の上醸「玉縁」「上竹」、酒だけでなく肴も供された。当時きれいだった綾瀬川の鯉など。
参加者を東西に分けて飲み比べをさせる。一升以上呑んだ者が東西それぞれ20数名ずつ。
両国柳橋「万八楼」の大酒大食大会 1817年(文化14年)一位の鯉屋利兵衛・・・・一斗九升五合飲みその場で倒れたが、数時間後目を覚まし水を茶碗で17杯飲んだ。
二、三升飲んだ者が三、四十人いたと言う。本当にそんなに飲んだだろうか?嘘じゃないか→嘘の万八→嘘っぱち の語源
東京農大・小泉教授の推論では、薄い酒を呑んでいたのでは?当時の造り方では酒は濃く、問屋で水増しして売っていたのでありえる。
近代の酒飲み大会 昭和2年 熊谷大酒会参加料2円50銭払い一升呑み、さらに2円50銭払うともう一升呑め、後は飲み放題。
一位は61歳の老人、一斗二升相撲界にも酒豪が多い、昭和初期の記録だと伊勢の海(1.8升)や常陸山(2時間で8升)等
以上の様な内容です。私は多くても6,7合あたりで酩酊し始めるので、これらの話はただびっくりです。
少々時間が余ったので、今年の新酒鑑評会の結果、高瀬先生の感想などを話されました。
講義の後は、宴会です。ちゃんこ鍋と肴各種。今回は「天青」の杜氏の五十嵐さんがゲストでいらっしゃっていたので、お酒は「天青」を3種。「天青」は呑みやすくて好きなお酒の一つなので、嬉しかったですね。2時間位いたでしょうか。料理もお酒も殆ど食し呑みお店を後にしました。来月も楽しみです、
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