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2005/05/04

いちべえ高瀬斉先生の日本酒講座

4月30日に荻窪いちべえに於いて漫画家で日本酒評論家の高瀬斉先生による日本酒講座があり、それに参加しました。4月から月1回で8月までの全5回の講座です。4月の講座は「日本酒の歴史」。お酒の作り方が伝わったであろう縄文時代から現代までのお酒の造り方やその背景についてお話していただきました。その概要は次の通りです。参考資料は当日配布されたテキストです。

 お酒がいつ頃から日本で呑まれるようになったのかは定かではないが、米が約6000年前の縄文時代に伝播したと言われているので、米利用の酒も酒造技術も入ってきたのであろう。

 「日本書紀」「古事記」にもお酒に関する記述が出てくる。米を原料とした米麹利用の酒に関する記述がある。執筆当時の酒造技術が参考になっているのでは。

 律令時代になると、稲作が安定化し米を主原料とする酒造りが日本の気候風土に馴染んできた。当時の律令国家は、度々魚酒禁止令が出ている、結構農民達もお酒を呑んでいたのでは。技術も進み、平安中期には女性の立ち売り酒屋が出現する。

 鎌倉時代、鎌倉市中における酒販売の禁止その他お酒に関する規制・・・武士に対する礼節厳守,贅沢禁止。
14世紀頃より商品生産としての酒造りの本格化する。室町幕府の重要財源として恒常的な課税対象となる。五条坊門西洞院・柳酒屋が有名、当時の酒屋全体の年間課税の24%を払っていたらしい。この頃から専門の麹屋が出現、室町時代後期には「利き酒」という言葉も。

 南都諸白の出現、「諸白」とは麹米,掛米ともに白米を使って醸造した澄み酒の事。寺院酒造による酒造りによって「諸白」が誕生した。「諸白」造りの特徴として、酒母の育成・三段仕込み・麹米,掛米ともに白米を使用・酒袋にいれての上槽・火入れ殺菌、これらは現在の酒造りの基本。酒桶も大型化する。

 戦国時代は新興地の酒が進出。蒸留酒・焼酎の出現、南蛮貿易で持ち込まれた洋酒が重宝される。技術的に飛躍した時代。

 江戸、元禄時代は上方からのお酒が江戸に進出、大いに広まる。上方から江戸へ下って来たお酒なので「下り酒」。江戸新川が下り酒問屋の中心地。最初、武家の間で広まるも次第に町人にも広まる。酒に関する沢山の川柳・和歌。灘酒の出現・・・・仕込み水(宮水)の発見,寒仕込みへの集中。貧民階級の需要に間に合わせる為、安酒の作成、新川で地酒を造り玉川上水の水で割る等。

 明治になって国の方もそれなりの研究を始める、明治37年:大蔵省醸造試験所設立,明治44年:醸造試験所主催第1回全国新酒鑑表会の開催。山廃酛,速醸酛の開発。大正期:ホーロータンクの出現、木香の消滅

 昭和24年、三増酒の認可(満州で昭和17年に発明)、アルコール添加酒の台頭。日本酒の衰退。日本酒を醸造酒とするなら米・米麹のみ原料にしたお酒を指すべきであって、アル添酒は日本酒ではない、区別するならリキュール類とすべきだ。

以上の様な内容でした(これでも足りないくらい)。先生はホワイトボードにいろいろと書きながら判りやすく説明していらっしゃいました。聴講していた方には熱心にメモを取っている方もいらっしゃいました。私は生憎筆記用具を持っていかなかったので、メモできなかったのがちょっと残念でした。それでも沢山学ぶところがありました。特に昭和に入ってから三増酒の出現以来の日本酒の衰退と表記の曖昧さに関しては先生も力説しておられました。私も納得するところです。私はアル添酒が余り体に合わないので殆ど呑みませんが、純米酒が世に出てもっと正しく評価されて欲しいものです。


講座の後は、宴会です。すき焼き鍋につまみ各種、日本酒が5,6種類用意されました。
宴会が終わっても呑み足らず、そのままカウンター席へ移動。閉店近くまで呑んでしまいました。次回も楽しみです。

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